2020年4月1日(水)にTBSで放送予定の『ワールド衝撃ミステリー』4時間スペシャル。
この中で取り上げられる「イギリスのダイアナ元妃」。
ダイアナ元妃は1997年、交通事故により死亡しましたが、その事故については今でも様々な説が飛び交っています。
事故当時の写真が流出?!
ダイアナ元妃の事故と死の真相とは?
ささやかれる陰謀説とは?
明かされる衝撃の新事実とは?
⇒2月5日放送のワールド極限ミステリー「韓国の行方不明妻の衝撃実話」の記事はコチラ。
ダイアナ元妃の離婚からドディ・アルファイド氏と交際するまで
1981年にチャールズ皇太子と結婚し、2人の王子をもうけたものの
チャールズ皇太子は結婚前から交際していたカミラ夫人と公然と不倫関係を続け、結婚生活は愛のないものでした。
ダイアナ元妃はこのことに傷つき、拒食症、自傷行為と、心のバランスを崩していきます。
そしてついに、
1996年8月28日にイギリス皇室のチャールズ皇太子との離婚が確定したダイアナ元妃。
公務がなくなったダイアナ元妃は、対人地雷撤去など慈善活動にいそしむ一方
心の隙間を埋めるかのように、奔放な交際を繰り広げます。
離婚後まもなくして、ダイアナ元妃は、パキスタン系イギリス人の外科医ハスナット・カーン氏との交際を始めます。
そして、その交際が終わらないうちに、
エジプト人のドディ・アルファイド氏と「二股交際」を開始。
ドディ・アルファイド氏と交際に至ったきっかけは
1997年7月、ダイアナ元妃の父・スペンサー卿が親しくしていた大富豪モハメド・アルファイド氏(イギリスのデパート「ハロッズ」のオーナー)に、彼の所有するフランスの別荘へ招待を受けたこと。
アルファイド家所有のクルーザーで楽しんだ際、その息子のドディ・アルファイド氏と親しくなり、2人の仲は急接近。
この招待とクルージングには、2人の王子も同行していたということですが、奔放な母の振舞いは、2人の目にどう映ったのでしょうか。
王子2人はほどなくして帰国しますが、ダイアナ元妃とドディ・アルファイド氏はクルージングを続け、「2人は交際している」という報道が過熱します。
※このドディ・アルファイド氏との交際は、実はダイアナ元妃の自作自演では?という話もあります。番組終了後、更新予定です。
ダイアナ元妃の事故の経緯は?事故直後の写真が流出?!
1997年8月30日、ダイアナ元妃とドディ・アルファイド氏は、パリ郊外の空港に到着後
パリのリッツ・カールトンホテルへ向かいます。
噂を聞きつけたパパラッチ(マスコミ)がホテルの周りに集まっていたことから
囮の車を数台送り出したあと、8月31日に日付が変わった0時20分頃、ホテルの裏口に回してあったベンツに乗り込みます。
乗車していたのは、
・ダイアナ元妃
・ドディ・アルファイド氏
・運転手アンリ・ポール
・ボディガードのトレバー・ジョーンズ
の4人。
囮作戦を見抜いていたパパラッチは、ダイアナたちの乗った車を追跡しはじめ
それを振り切るために、ダイアナ元妃たちを乗せたベンツは、150キロという猛スピードで走りました。
そして、アルマ広場下にある地下トンネルでハンドル操作を誤り
ダイアナ元妃たちを乗せたベンツは中央分離帯に激突。
運転手のアンリ・ポールとドディ・アルファイド氏は即死。
ダイアナ元妃とトレバー・ジョーンズは重傷を負います。
トレバー・ジョーンズは唯一シートベルトを装着していたおかげで致命傷に至らず助かりますが
ダイアナ元妃は内臓の損傷が激しく、大破したベンツから助け出されたときはすでに助かる見込みはありませんでした。
そして早朝の4時、意識が戻らないまま帰らぬ人となってしまいました。
36歳という若さでした。
ダイアナ元妃の遺骨は、湖の中に浮かぶある小島(通称ラウンド・オーバル島)に埋葬されていますが、盗難を防ぐため、場所は明らかにされていません。
幼少期には両親の離婚・再婚。
結婚してからも夫から愛を得られず、愛を求め続け、王室に翻弄され激動の人生を駆け抜けたダイアナ元妃。
今でもなお、彼女は世界中の人々の心に残り、愛され続けています。
ダイアナ元妃の事故直後の写真が流出?!
2006年、イタリアの週刊誌『Chi』が、
ダイアナ元妃の事故直後の様子を写した写真を掲載し、話題になりました。
意識のないダイアナ元妃が、血まみれの状態で酸素吸入手当を受けている生々しい様子がうかがえます。
事故直後、追い掛け回したマスコミの一部の人は救助にあたったものの
大半のマスコミは手を差しのべる事なく写真を撮り続けていたとわかっており
この写真によって、マスコミへの非難の声が再燃しました。
また事故直後にマスコミに撮られた写真はすべてフランス警察によって没収されたはずですが
何らかの手段で没収を逃れたこの1枚を、あるカメラマンが週刊誌に売りつけたのが掲載のきっかけとも言われ、
死者を冒涜するようなこの行為に、マスコミのモラルを問う声と非難の声が世界中であがり
イギリス王室が事態収拾のため会見するまでの事態となりました。
日本でもこの事故でのマスコミの報道の在り方が非常に注目され、見直すきっかけとなりました。
しかし今日の報道を見るに、個人的には、この頃からマスコミは何も変わっていないと感じます。
ダイアナ元妃の事故死の真相は?ささやかれる陰謀説
その後の調査で、事故に至った直接的な原因は
運転手アンリ・ポールが事故当日処方薬を服用していたうえ飲酒運転をし、
猛烈なスピードで運転したことでハンドルがコントロールできなくなって激突につながってしまったということが明らかになりました。
当初は、マスコミに追いかけられた末の不慮の事故が招いた死だと報じられていましたが
時がたつにつれ、ダイアナ元妃の死には、いくつかの陰謀説がささやかれるようになります。
ダイアナ元妃の死にまつわる陰謀説は、次のようなものです。
ダイアナ元妃の事故死原因①:チャールズ皇太子による陰謀説
この陰謀説は、事故後に見つかったダイアナ元妃による直筆の手紙がきっかけです。
また、この後ささやかれるようになる数々の陰謀説のきっかけとなったものでもあります。
手紙は、事故が起こる10か月前の1996年10月に書かれたものでした。
手紙の内容の一部には、こう書かれていました。
“They’re planning ‘an accident’ in my car so Charles can marry again”
「彼らは、私の乗る車が事故に遭うよう計画している。事故で私が死ねば、チャールズはまた結婚できる」
それは、ほかならぬチャールズ皇太子がダイアナ元妃の暗殺を計画している、という衝撃的な内容のものでした。
ダイアナ元妃という重要人物を乗せて運転するにもかかわらず運転手が泥酔状態だったというのは何とも不自然だが
実は泥酔を仕向けたのはチャールズ皇太子の手先であり、仕組まれたものだと。
しかし丁寧に検証していくと、
・運転手がそんなに泥酔していたら、周囲がおかしく思って止めるのでは?
・事故当時、複数の人が、ダイアナ元妃の乗っていたベンツと並走してあおっていた白い車を見たという目撃証言があるが、車も運転手も見つからない
など不可解な点が多く、こちらもなんら確証のない説でした。
それに、チャールズ皇太子とダイアナ元妃は事故当時すでに離婚しており、チャールズ皇太子がカミラ夫人と結婚するのに、危険を冒してダイアナ元妃を葬る必要性はありません。
ダイアナ元妃の事故死原因②:イギリス政府による陰謀説
ダイアナ元妃はドディ・アルファイド氏と関係を持っていたとき既に離婚しており、王室からは離脱していました。
しかし「未来のイギリス国王の母」であるという立場は変わりません。
仮にダイアナ元妃がドディ・アルファイド氏と結婚ということになれば、ドディ・アルファイド氏の信仰宗教であるイスラム教がダイアナ元妃に関わってきます。
イスラム教徒の男性と婚姻する非イスラムの女性は、「イスラム教・キリスト教・ユダヤ教」のいずれかの宗教を信仰している必要はあるものの、ダイアナ元妃自身がイスラム教に改宗する必要はありません。
しかし、イギリス王室の宗教は、キリスト・カトリック教から分離した英国国教会。
間接的とはいえ、厳格なカトリック教の最高権力者たるイギリス王室とイスラム教に関わりが生まれるのは非常にまずいのです。
また、ダイアナ元妃がドディ・アルファイド氏との子どもを身ごもっていたという噂がありました。
ドディ・アルファイド氏の実家は、アルファイド一族という強大な力をもつ大富豪。
ダイアナ元妃がドディ氏と結婚し出産すれば
アルファイド一族とイギリス王室につながりが生じることになり
ダイアナ元妃とドディ氏の間の子供は「未来のイギリス国王の異父兄弟」ということになります。
それを恐れたイギリス政府が、ダイアナ元妃を暗殺することで阻止したのでは、という説があるのです。
この説を唱えているのは、ドディ・アルファイド氏の父、モハメド氏。
しかしダイアナ元妃の妊娠説については、事故後の検死でダイアナ元妃が妊娠していなかったことが明らかになっています。
また、これは事故原因①と共通しますが、
車のどこの座席に誰が座るかはわからず、ダイアナ元妃もシートベルトをちゃんと着ける可能性もあり(着けるのが当たり前ですが)
シートベルトを着けていれば、致命傷にならず生存する可能性もあります。
このことから、事故で確実に葬れる確証はなく、より確実な方法がもっと他にあるのではという見方があり
この説は眉唾となっています。
ダイアナ元妃の事故死原因③:元妃の活動にまつわる陰謀説
ダイアナ元妃は、慈善活動を積極的に行っていたことでも有名です。
その中でも特に注目されたのが、対人地雷撤去活動。
高貴な立場のダイアナ元妃が危険な地帯に身を挺して赴く姿は、慈善活動家のアイコンとなっており、彼女はこの活動においてインフルエンサーともいえる立場でした。
直接的な名称を避けますが
ある2つの民族が互いの国を主張し争い続けている、地雷が多く埋められている地域があり
そこへダイアナ元妃は行きたがっていた、という話がありました。
しかし困るのは、その地域の指導者。
ダイアナ元妃のようなインフルエンサーが赴けば、マスコミを通じて、指導者が隠したいこの地域の実態が報道されることになってしまう。
またその地域は、皮肉なことに、その対人地雷の売買で得られる収入が莫大な収入源となっていて
撤去活動は、彼らにとって権力の存続を揺るがすものになりかねない。
そこで、この困った事態を阻止するため、指導者に依頼を受けた諜報機関によってダイアナ元妃暗殺が企てられたのでは、という説もあるのです。
事故死は、諜報機関が一番よく用いる方法だという話もあります。
また、この説には続きがあり
ダイアナ元妃が乗っていた車を追いかけていたパパラッチの1人の男。
この男は、実はダイアナ元妃が事故当時乗っていた車の所有者であり
「俺の車にダイアナ元妃が乗っていた」と周囲に吹聴していたところ、
車の中で不可解な状態で亡くなっているのを発見されました。
その亡くなり方は、諜報機関が暗喩的なメッセージで「警告」をあらわすものだった、
という話もあります。
ただこちらも何一つ証拠はなく、都市伝説に近い陰謀説のひとつです。
ダイアナ元妃の事故死原因④:エリザベス女王による陰謀説
ダイアナ元妃が死亡後のイギリス王室の無関心ぶりは知られたところですが
中でもエリザベス女王の淡泊さは、冷淡とすら言われました。
ダイアナ元妃が死亡後のコメントもなく
ダイアナ元妃の遺体についても、
「ダイアナは王室を出た身なのだから、遺体は実家のスペンサー家が引き取るべき」
と引き取りに難色を示したとも言われています。
しかしダイアナ元妃はスキャンダラスではあったものの、その容姿の美しさやファッション、活動やキャラクターなどで国民から根強い人気があり、
このエリザベス女王やイギリス王室の態度を見た国民は、非難の声を高めていきました。
それを感じ取ったエリザベス女王は、手厚い葬儀や追悼番組などを企画し、イギリス王室への非難を反らしていきました。
こうした冷静な対応から、エリザベス女王による暗殺説すらもちあがりました。
しかし、エリザベス女王が親しくしていた女官に送ったとされる手紙が女官の死後見つかり、見方が変わっていきました。
その手紙は、ダイアナ元妃が死亡して6日目に書いたとされており、次のような内容でした。
「形容しがたいほど悲しいことでした。
ダイアナの死は、この国にとって大きな損失なのです。
彼女の死に対する国民の反応、そしてウェストミンスター寺院での国民葬は、世界中の人々をひとつにしたようですね。」
国民の非難を反らすためのパフォーマンスか真心からかはわかりませんが
ダイアナ元妃の葬儀では、棺が前を通る際、エリザベス女王が頭を下げるという異例の対応をしたり(女王はイギリスで一番身分が高いため、誰にも頭をさげない)
この手紙のエピソードといったことから、冷静なエリザベス女王が暗殺を企てたとは考えづらく、こちらも想像の域を出ない説となっています。
ダイアナ元妃の事故死原因⑤:チャールズ皇太子の父による陰謀説
MI5(イギリス情報機関)のエージェントであったジョン・ホプキンス氏が
今わの際に
「ダイアナ元妃を暗殺したのは私だ」
と述べ、大変な話題となりました。
ジョン・ホプキンスの証言は、以下のようなものでした。
■チャールズ皇太子の父・エディンバラ公フィリップ王配からダイアナ元妃の暗殺を依頼された
■ダイアナ元妃が、イギリス王室の重大な数々の秘密を知り、ダイアナは犯罪にも等しいそれらの数々を暴露するつもりだった。暗殺は、それを阻止するためだった。
■イギリス王室がジャーナリストに箝口令を敷いており、世に出ている王室に関する情報は偽りに満ちていること。
後悔の念と罪の意識を胸に秘め続け、死を目前にしてその重荷を下ろしたくなったのか
それとも、老化による妄言だったのか・・・
仮にこれが本当なら、世界中を揺るがすスキャンダルとなるでしょう。
ご本人はなくなってしまい、今となっては確認するすべもなく、真実は闇の中です。
ダイアナ元妃の事故死原因⑥:新事実の陰謀論?!
⇒番組終了後、更新予定。
まとめ
■ダイアナ元妃の離婚からドディ・アルファイド氏と交際するまで
■ダイアナ元妃の事故の経緯は?事故直後の写真が流出?!
■ダイアナ元妃の事故死の真相は?ささやかれる陰謀説
についてまとめました。
真相が解明される日はくるのでしょうか・・